<仙台中2自殺>教諭2人が体罰

もうニュースでも散々取り上げられているから知らない人もいないでしょうから、詳細は割愛。
ただ思うことは学校てなんなんだろうということ。

学校という場所は本当は子どもがすくすくと楽しく成長して元気に笑顔で過ごす場所だと思う。
それが教師が体罰。
体罰にも内容によりけりなんだろうけど。
バレー部の動画が話題になっているけれどあれは正直グレーゾーン何だと思う。
顧問が感情的になっているようだけれど生徒との信頼関係あるみたいだし、
なによりあの部分の一部分だけを切り取られては確実に悪の部分しか見えないから何とも言えない。
もっと全体を見る必要があるのにメディアはあの部分のみを取り上げる。

まぁそれとは別に今回はうるさい生徒がいるから粘着テープで口をとじて10~15分放置。
これ体罰とかではなくて人権的問題。

考えるまでもなくありえない行為でこれを教育というのなら残念極まりない。

道徳を教えるべきものが命を奪ってはもともこもない。
教師をしているときからずっと言っていることがある。

究極的なことをいうと
学校が嫌ならこなくていい。
社会的に見て不登校とかものすごくダメなように見えるけれどそんなことはない
社会に出たら実際学歴なんかほとんど関係ない
勉強なんか後からいつでも追いつける。
だからどうしようもなく嫌になった学校から一度逃げてみてよいと思う。
そして学校というのがどれだけちっぽけな場所かわかる日がくる。
確かに今その時は学校が全てなのかもしれないけど、本来楽しいはずの学校でそんな思いをするのならそれは教師に責任がある。

いじりなのかいじめなのか。
少しからかっているだけなのかもしれないけど、それが度を越えてしまったらいじめ。
それを決めるのは周りでみている人ではない。当事者が辛い思いや、きつい思いをしているのならそれは立派ないじめ。
人の命の重さを考える必要性。ニュースなどで多くの若い命が失われている。LINEが原因であったり、友人関係が原因であったり。
戦争もなく、物にあふれて、食べるものも十分にある。それなのに多くの若い命が失われる。
豊かになったぶん何か失っていくものもある。
どんなに明るい人でも、環境が変われば命を落としてしまうことがある。

学校に通う人へ。

今生きていることを大切に、当たり前の生活が多くの人の支えによって成り立っている。いつまでも続くわけではない。
だからこそ一日一日を真剣に生きなければ。
そしてもう一度他人への接し方を考える。
クラスで嫌なおもいをしている人がいないか、学年で嫌な気持ちになったりする人がいないか。
自分ひとりでできることは小さな事かもしれないけど、その力によって救われることもある。心を育てなさい

インターネットの普及で誰とでも気軽に友達になることができる。その代わりに本当の意味でのつながりは薄くなっているというのが世間の現状。
楽しい時に一緒にいるのが友達なのか。
面白いことだけ一緒にするのが友達なのか。楽しいことはもちろんだけど悲しんだり悩んだり、
苦しんだりしている時に手を差し伸べてあげるのが本当の友達なんじゃないの。
それが仲間。人間、生きていくうえで必要なことは勉強ができるってのも大事だけれど、
最も大事なのは「人の痛みがわかり、人の心がわかる」ということ。
集団になったら強い。ネットでは強い。そんなずるい人間はいつか自分にしっぺ返しがくる。
友達と話して笑って一日過ごすことは幸せなこと。
でもその笑顔の裏に誰かが辛い思いをしていないか。
その笑顔は誰かの犠牲のもと成り立っていないか。
その笑顔が自分勝手なわがままではないか。

当たり前のことがとっても幸せなことでその当たり前のことが当たり前じゃなくなったときに、初めて気づく悲しくて苦しくなる感情がある。
だからこそ苦しんでいる人がいたら、だれにでも関係なく手を差し伸べてあげられる人間になりなさい。
人として大切な部分を忘れてはいけない。人間は弱い生き物。一人で生きていけない。本当の意味での仲間をつくってほしい。

最後に学校という現場で働く人にもっと真剣に向き合ってほしいと切実に願うばかりです。

偉そうにいろいろ書いたけれどもしも悩んでいる人がいたら匿名でも構わないからコメント頂けたらと思います。
以上。何かのお役にたてば光栄です。
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